目次
はじめに
田中道博氏に、直接お話しを聞く事ができました。
サッカーといえば、ブラジルをはじめとした中南米やヨーロッパ各地で非常に高い人気を誇り、日本でも人気の高いスポーツとして知られています。
また、内田選手、香川選手、本田選手のように、国外でも活躍する選手も出てきたため、サッカー人気は留まるところを知りません。
身近なところでいけば、FC東京や、川崎フロンターレ、浦和レッズのようなJリーグを応援する人も多く、身近にも熱狂的なファンの知り合いがいる方も多いのではないでしょうか。
今回はそんなJリーグの概要と、同リーグで参与を務めていた田中道博氏の生い立ちについてご紹介していきます。
Jリーグとは?
Jリーグとは、「Japan Professional Football League」の略であり、日本のプロサッカーリーグのことを指しています。
主催団体は公益財団法人日本サッカー協会(JFA)、公益社団法人日本プロサッカーリーグであり、主管団体はJリーグに加盟する各クラブとなっています。
1993年から始まり、10チームから始まりましたが、リーグに参加するチームが増加していき、1998年には18チームになり、1999年にはJ1・J2の2部制に移行、2014年にはJ3が創設されました。
ファンは2015年時点で924万人。この数からして、その人気振りが伺えます。
そんなJリーグが始まった時から関わり、組織の成長に貢献したのが、今回ご紹介する田中道博氏です。
今回はJリーグの参与も務めた、田中道博氏にインタビューを行いました。
田中道博さんの育った環境を教えてください
北海道札幌市で生まれ、大学卒業まで過ごしました。直系家族の家で祖父・祖母・両親・妹の6人家族で一つ屋根の下で生活しており、幼稚園から大学まで実家から通っていました。
大学は当時国立一期校と二期校の二校受験が可能で、理系と文系の学校を夫々受験し、文系のみ合格だったので、そちらに進みました。今思えば理系と文系では人生が180度違うくらいの選択だと思うのですが、当時はあまり深く考えていなかったと思います。
印象に残っている幼少期のエピソードを教えてください
具体的なエピソードはないのですが、近所に年齢が異なる子供たちがいて毎日のように色々な遊びをしていたと思います。中でもちょっと仲が悪くなることもありますが、年長者が上手く取り持っていました。
小さな縦社会が機能していたようです。今でいうイジメなどはなかったと思います。
田中道博さんはどんな子どもと言われていましたか?
落ち着きがない子供だったようです。小4から中1まで4年間、習字の教室に通わされました。
そこでは30分~小一時間正座で練習させられましたが、お陰様で今、丁寧な字を書くことが出来ます。
一番興味のあったことは何ですか?
中学の時は音楽に興味があり、色々な音楽雑誌を読み漁りつつ、ラジオの音楽番組を聞いていました。
高校に入ってからは深夜放送をよく聞いていました。「オールナイトニッポン」や「パックインミュージック」をよく聞いていました。
田中道博さんが子供の頃描いていた将来の夢は何でしたか?また、その理由を教えてください
子供の頃から動物が好きだったので、漠然と獣医になれたらいいなと思っていました。
今後、新しく取り組まれていきたいことはありますか?
仕事を離れて、少し勉強をしたいです。具体的には英語の勉強と仏教伝来のルーツについて色々時代背景を考えながら調べていきたいと思っています。
まとめ
1993年以降、参加チームも増え、ファンからも高い人気を得ることができたのは、中田英寿や三浦知良のようなスター選手の存在が大きかったと言われています。
たしかに実際プレーする選手の存在も重要ですが、あまり知られていないところで、Jリーグの成長に貢献してこられたのが、今回お話しを伺った田中道博氏です。
多い時は100億以上の経済効果をもたらすJリーグ。ここまでの組織を作るのがどれほど大変だったか、想像に難くありません。
この記事を読んでいる方で、まだJリーグをあまり見たことが無い人がいれば、是非この記事をきっかけにしていただければと思います。
会社概要
商号 | Jリーグ |
公式サイト |
|
参与 | 田中道博 |

注目社長編集部

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