神戸医療福祉大学の野球部監督を務める、高橋広氏に独自インタビューを行いました!

はじめに

皆さんは、神戸医療福祉大学をご存じでしょうか?神戸医療福祉大学は1973年に創立、2000年に設置された大学です。大学の本部は兵庫県神崎郡にあり、都築仁子氏が理事長を、都築明寿香氏が学長を務めています。
そして、神戸医療福祉大学の学部には人間社会学部があり、学科は社会福祉学科、健康スポーツコミュニケーション学科、経営福祉ビジネス学科となっています。

そんな神戸医療福祉大学には野球部があるのですが、実は、この野球部、近畿で2部に所属している強豪校なのです!
今回は、近畿学生野球連盟所属、神戸医療福祉大学野球部の監督である高橋広氏にインタビューをさせていただきました。
「1勝の大切さを心に刻み、継続した練習と努力を積み重ねて、チーム力のアップを図る。そして、チーム一丸となり神宮大会出場を目指す。」という目標を掲げる野球部の監督とは、一体どんな方なのでしょうか!是非チェックしてみてください!

神戸医療福祉大学、高橋広氏へのインタビューはこちら!

高橋広様が育ったご環境を教えてください。

愛媛県新居浜市出身。新居浜市浮島小学校、新居浜市立東中学校、愛媛県立西条高校、早稲田大学教育学部卒業。両親と兄の四人家族で育ちました。父悦雄は住友化学社員、母美恵子は専業主婦、兄清は愛媛県立新居浜東、芝浦工大卒。父は典型的な亭主関白で頑固親父、母は良妻賢母で昭和の典型のような夫婦でした。

両親は小学校時代は成績優秀だったようなのですが、家庭が複雑で教育に理解がなく、高学歴ではありませんでした。
その為、私たち子どもの教育には理解があり、兄弟共に大学へ進学する事ができました。当時の家計は豊かというわけではありませんでしたが、決して貧乏だったわけでもなく、住友化学の社宅に住み銭湯に行くような生活でした。昭和の平均的な家庭であったと思います。

父親だけの収入では東京の大学へ進学する事は非常に厳しい状況であったと思いますし、学費だけでなく野球に掛かる経費も多い状態でした。そのため、奨学金制度を利用して、経費の安い県人会の寮に入寮しました。早稲田大学の野球部が全寮制でなかったからできたことではありますね。当時の早稲田は慶応と違って苦学生も多く、周囲との格差はあまりなかったように感じます。野球の練習が休みの日は、時間の許す限りアルバイトをしていました。

幼少期や学生時代など、社会に出る前はどのような性格や特徴がございましたか?

幼少期は自然児でガキ大将でした。小学校低学年までは成績も芳しくなく、放課後になると校庭で駆け回り、友人を引き連れて近くの野山や海にも出かけてよく遊んでいました。
担任に感化されて勉学に励むようになったのは、小学四年生の時。丁度その頃東京オリンピックが開催され、感銘を受けたのです。何故かオリンピック競技のほとんどの記録を自分のノートに書き写した記憶があります。6歳年上の兄が野球をやっていて、甲子園や早慶戦などの話をよくしていたのですが、その影響で野球に興味を持つようになりました。兄は早稲田志望だったので、その影響も受けて早稲田志望になりました。

そして不思議なのが、小学四年生だった私が当時の早稲田大学の入試のスクラップを残していたことです。
今でもそのスクラップが実家には残っているのですが、それが早稲田への進学に繋がったと思ます。その後成績も優秀になり、小学校も中学校も生徒会長に選出されました。高校入学当時までは成績も優秀だったと思いますが、その後は野球に没頭し成績は芳しくありませんでした。しかし、早稲田受験には意欲を燃やし、高校野球が終わった8月から受験までは一日の平均睡眠時間が三時間くらいになるまで頑張りきりました。受験勉強に頑張り切れたのは、野球で体力と精神力を培ったからだと思います。

一番ご興味のあったことは何ですか?

自分の意志ではなく、兄の影響で始めた野球がライフワークでした。
また、小学校高学年から野球を始めたのですが、兄が投手だったので、その投球練習の相手に壁代わりに捕手をやらされたお陰で、生涯捕手になりました。
それと兄が高校で野球を始めると、下級生の仕事として捕手道具を遠征前に家に持ち帰って、よく手入れをしていました。その手伝いをしているうちに捕手の着ける道具が格好良く見えて、自分は捕手になろうと思ったのを覚えています。
いざ野球を始めてみると、捕手だけが他の八人とは違う反対向きで守るので、これも自分の性格には合っていたように感じました。今になってみると、私は何となくいつも人とは違うことをしたいという性格だったのだと思います。

兄は身体能力に優れ、投手としても野球選手としても素晴らしく、成績も優秀でした。
ところが、私は中学校に入ってなかなかレギュラーになれませんでした。そこで暇があれば家の前の田んぼ(ほとんどが畑)に向かって一人ボールを打っていました。
次第に、試合でたまに代打で出ると必ずヒットを打てるようになっていきました。それが自信となり、新チームからは4番で捕手、そして主将にも選ばれました。その後チームは出る大会全てに優勝し、愛媛県で負けることはありませんでした。初めて負けたのが、最後の四国大会の決勝でした。

これまでの人生の中で印象に残っているエピソードを教えてください。

幼き頃からの夢は、甲子園に出ることと早慶戦に出ることでした。高校時代には甲子園には出られませんでしたが、早慶戦に出る為の第一条件の「早稲田に合格」した時は、感激しました。
「稲穂みのる」の合格電報を受け取った時の感激は、それまでに野球で何回も優勝した時とは比べものにならないものでした。そして、もう一つの夢が実現した時。監督として目指した甲子園、まさか20年の歳月がかかるとは夢にも思いませんでした。初出場を決定的にした、秋の四国大会準決勝対高知戦です。7−6で勝ち、これで甲子園出場がほぼ確定しました。選抜の出場なのでその場では決定しませんが、これでやっと甲子園に出れると思うと感極まるものがありました。

その三年後に選抜で準優勝しました。甲子園出場も三回目となった第74回選抜、これまでまだ甲子園初勝利が出来ていませんでした。“甲子園初勝利”を合い言葉に、年末年始も無しで選抜に臨みました。初戦酒田南に7-5で逆転勝利、甲子園で聞く初めての校歌、感激しました。
ここまで20年かかったかと思うと感無量でした。その次の日を休みにして、難波花月で部員全員と大笑い、肩の荷が下りたチームはノンプレッシャーで決勝進出。対戦した報徳学園には、2−8で負けました。

高橋広様が仕事や生活でご活動されるうえで原動力となっているものを教えてください。これまでの人生の中で印象に残っているエピソードを教えてください。

神戸医療福祉大学に採用して頂いたことが現在の全てです。建学の精神である「個性の伸展による人生練磨」は私の考え方とも一致します。
また、採用に当たって「人を育てて欲しい」と言われたことが心に残りました。私は野球の監督としてよく評価されますが、自分は教育者であるという自負があります。
ですから、呼称も「監督」では無く「先生」と呼ぶように指導しています。現在は、個性の伸展はもちろん、野球部からプロ野球や社会人で活躍する選手の育成や、野球の指導者教員の育成に留まらず、幅広い人材育成を模索しています。世の中のIT化にともない、試合の分析に色々なアプリやYoutubeを駆使し、その専門家を育成したいとも考えています。

普段のピッチングでもスピードガンだけでは無く、テクニカルピッチを使って、ボールのスピンレートの測定や回転軸の特定なども測定分析をさせています。また、将来マスコミやカメラマンを目指す学生には写真撮影やビデオ撮影解析解説までさせて、専門性を持たせています。
審判員の育成も、普段の練習だけではなくリーグ戦の派遣や社会人の軟式野球、少年野球などにも派遣していきたいとも考えています。

高橋広様個人としての今後のビジョンを教えてください。

70歳までは現役を目指したいと思います。現在の本学野球部は近畿学生野球リーグの二部なので、まず二部で優勝、入れ替え戦で勝って一部昇格、そこで優勝して全日本大学野球選手権出場を目指します。
そして、大学選手権で私自身二度目の日本一に輝きたいと思います。プロ野球、社会人野球で活躍できる選手を多く育てたいとも思いますし、また、本学の健康スポーツコミュニケーション学科の野球部員の半数くらいが将来教師を目指しているので、そちらのサポートもできればなと思っております。
しかし、公立の採用試験のハードルはかなり高く厳しいので、JICAによる海外派遣を推奨したいと考えています。それはJICAの二年間の経験が、県によっては一次試験免除であったり、加点制度があるからです。

丁度今年から金澤コーチが採用された事も、多いに学生には役立つと思います。金澤コーチは、JICAやメキシコでの海外生活の経験がありますので、コロナ禍が収まればそれらの経験談などを多いに活用してもらい、学生をJICAに誘導してもらいたいです。
※金澤コーチ(金澤達記さん)は本学の野球部の卒業生で、当時はキャプテンを務めていました。教職を目指し、現在、ご縁有り、教育者・指導者である髙橋監督(後進の育成)のもとで学んでいます。
本人には、情報公開の許諾をいただいております。

また、直近では、金澤コーチによるスペイン語講座の開設を計画しております。
野球の普及国は、英語圏を除けばほとんどがスペイン語圏です。そのため、大きな活躍が期待できます。私も六十の手習いでチャレンジしてみたいと思っています。

おわりに

以上が、神戸医療福祉大学野球部の高橋広監督へ行った直接インタビューでした!
幼少期から兄の影響で野球に打ち込み、勉強に励み、努力し続けてこられた高橋広氏。これまで数々の結果を残してきたにもかかわらず、まだまだ70歳までは現役を目指していくといいます。野球はスペイン語圏とのことで、今後スペイン語を勉強する計画もあるとか…!
この向上心こそが、神戸医療福祉大学野球部を勝利に導いていくのでしょう。

また、神戸医療福祉大学に採用され、「野球部を強くしてくれ!」ではなく「人を育てて欲しい」と言われたということが個人的に心に来ました。野球の監督の前に一人の「教育者」として部員たちにも監督ではなく先生と呼ぶよう指導しているのですね。
野球技術も人間力も併せ持った高橋広氏の下で学ぶことができる、神戸医療福祉大学の野球部員たちは幸せですね。

神戸医療福祉大学 概要

名称 神戸医療福祉大学
所在地 兵庫県神崎郡福崎町高岡1966-5
学長 都築明寿香
創立 1973年
公式サイト http://www.kinwu.ac.jp/

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注目社長編集部

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