小川孝史氏(株式会社ランド/センチュリー21ランド 代表取締役)に突撃インタビュー!

はじめに

不動産市場は、2007年から2011年にかけて落ち込みを見せていたものの、12年末のアベノミクス始動をきっかけに状況が好転。15年からは東京都心部のオフィスビル賃貸が伸びたことで業界は拡大傾向に転じました。
令和元年の10月~12月(四半期)は非製造業の増収1位となり、日銀のマイナス金利政策の影響によって、業界は好調の兆しが見えています。
しかしながら、2020年2月からのコロナウィルス感染拡大による影響は大きく、2020年7月に開催予定だった東京五輪の延期なったことで、土地購入の需要が伸びたものの、今後の動向については不透明な部分が多いのも事実です。
ほかにも、人口減少など業界にとって懸念するべき状況は多々ありますが、それでも、不動産業界は日本国で42兆円以上とマーケットの規模は大きく、社会情勢やニーズを的確に判断することで、今後も拡大し続ける可能性を秘めていると言えるでしょう。

株式会社ランドとは?

株式会社ランドは、1971年に米国で誕生した、世界最大規模の不動産流通ネットワーク「センチュリー21」の加盟店として、大阪府にて、不動産売買や仲介、建売分譲や注文建築請負のほか、コンサルティング業務などを事業としている会社です。

堺市を中心に、お客様のニーズを的確に把握し、迅速で丁寧な対応とコミュニケーションを通じて、一生のお付き合いを目指す関りを目指しています。

そんな株式会社ランドの代表者こそ、今回ご紹介する「小川孝史氏」です。この記事では小川孝史氏の生い立ちから、今後の取り組みについて、ご本人に直接伺いました。

育った環境を教えてください

生まれも育ちも大阪です。両親と弟と私の4人家族で、決して裕福な家庭環境ではありませんでしたが、幸福感のある日々を送ってきたと思います。
幼少期はとても活発で、近所の友達と夜遅くまで毎日遊んでいました。

印象に残っている幼少期のエピソードを教えてください

今では考えられないことですが、3歳くらいの頃から、近所の子ども達とよく大和川で遊んでいました。川を泳いで横断したり、流されたりして遊んでいましたね。

どんな子どもと言われていましたか?

勉強はそこそこで、友達と良く遊んでいました。負けず嫌いの性格で、勝つためには必死になり、勝つまでやり続けることがよくありました。

一番興味のあったことは何ですか?

運動が得意で、小学校2年生から6年生まで、近くの少年野球チームに入団しており、ほかにも、地区でのソフトボールにも参加していました。学校ではサッカー、バスケットボールとなんでもやり、小学校高学年のときに行った体力測定では全種目1位でした。
中学時代は3年間とも野球部で、高校ではラグビー部で活動するなど、運動三昧の日々でしたね。

子供の頃描いていた将来の夢は何でしたか?また、その理由を教えてください

とにかく運動が好きだったので、野球選手やスポーツ関係の仕事に就きたいと、夢を描いていました。

今後、会社としてどのようなことに取り組まれていきたいですか?

今後は、さらなる店舗展開や事業拡大を進め、企業として強固な基盤を築いていきたいと思っています。
また、近年注目されているソーシャルビジネスにも関心があり、本業以外にも、社会貢献できる何かを見つけ、実現していきたいと考えています。

取材を通じて感じた事

幼少期からスポーツ少年で、活発だったという小川孝史氏。
取材からは、現状に満足せず、目標に向かって果敢に挑戦していく向上心と粘り強さが伝わってきました。

小川氏は、起業前は大手不動産会社で長年に亘って勤務してきた経験があり、当時はノルマ達成やスピード重視の社風から、お客様と十分なお付き合いができない現状に疑問を持っていたといいます。

そのときの歯がゆさが、株式会社ランドの顧客第一主義の原動力になっているのでしょう。
企業はお客様のために存在するのであり、それを継続していくことに意義があると言われますが、株式会社はそれができる企業だと感じました。今後の成長がたいへん楽しみです。

会社概要

社名 株式会社ランド
所在地 〒591-8008
大阪府堺市北区東浅香山町1丁149
公式サイト https://c21land.co.jp
代表取締役社長 小川孝史
事業内容 ○不動産売買・仲介
○不動産買取保証付仲介
○不動産買取
○事業用収益大型不動産仲介
○建売分譲
○コンサルティング業務
○損害保険代理店(AIG損害保険株式会社・三井住友海上火災保険株式会社)
○注文建築請負

 

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