アレグレホーム_代表

株式会社アレグレホームとは?社長の井上幸治氏が語った原動力とビジョン

はじめに

株式会社アレグレホームは、千葉県千葉市にあるハウスメーカーです。今回は、地域とのつながりも深くアットホームな雰囲気のあるアレグレホームについて、そしてアレグレホームを引っ張っている社長・井上幸治氏について紹介します。

株式会社アレグレホームの概要

株式会社アレグレホームとは、どんな会社なのでしょう。まずは概要と特徴を紹介します。

アレグレホームでは、

  • 命を守る家
  • 健康的に暮らせる家
  • 気持ちのいい家

を基本とした家づくりをしています。

お客様の幸せはもちろんですが、アレグレホームは「社員が幸せな会社」を目指しています。社員が幸せを感じながら仕事をすることこそ、お客様へ素敵なプレゼントができるからです。
また、「こどもが働きたい会社№1」もアレグレホームの目指す会社の姿のひとつです。

そんなアレグレホームの先頭に立って走り続けている社長の井上幸治氏とは、どんな方なのでしょうか。
井上氏のプライベートから、これからのビジョンまで、お聞きしてみました。

井上幸治社長へのインタビューを紹介

今回は、井上幸治氏の知られざる生い立ちまで語ってくださいました。壮絶な少年時代は、驚くばかりです。

井上氏の育った環境を教えてください

岩手県盛岡市で生まれました。母は結婚しておらず、生まれたときから母子家庭でした。4歳の時に千葉に引っ越しし、6歳からは一人で家で待っているいわゆる「鍵っ子生活」を送っていました。

小学4年からサッカーを始め、365日サッカー漬けの生活だったため、寂しさを感じる暇もなく、忙しい日々を過ごしました。

転機は14歳の時です。母が結婚をしたのですが、義理の父になる人がヤクザでした。17歳年上の義理の父に暴力を振るわれる生活が始まります。父に怯える自分の情けなさに嫌気がさし、泣きながら床に頭を打ち付けたこともありました。

その後はどうされましたか?

高校卒業後、神奈川にあるトヨタの工場に就職し、寮生活を送ります。家を出たかったためです。ただ、毎日同じ作業をする仕事にやりがいを見出せずに転職。千葉に戻り、知人の紹介でリフォーム会社の就職。その後大工を経て、職人として8年弱経験を積みました。

職人時代に22歳で結婚し、4年後に離婚。2人の子供に何もしてやれない自分を恥じ、住宅販売会社に転職しました。3年以内にトップセールスになれたら、社長になって背中で子供に示したい思いを一心に、2年目で念願を叶え、4年後に独立。32歳の誕生日にアレグレホームを設立し、今に至ります。

幼少期や学生時代など、社会に出る前はどのような性格でしたか?

運動大好き、勉強嫌いでした。先生から「よくグレずに育った」と言われるほど他の人より家庭環境が悪く、成績も不良生徒並でした。

サッカーに没頭していたため、不良グループに属してはいませんでしたが、気は強い方で、不良に喧嘩を売られても、大人しくしているタイプではありませんでした。

自分で言うのもなんですが、素直な性格だったこともあり、母が女手一つで育てていることへの感謝が、悪い道に逸れなかった要因だと思っています。

幸いなことに、母子家庭で一人っ子だったので、幼少期に比較されることもなく自由な生活を送っていたため、大人の目や評価に興味がなく、自分のやりたいことを曲げない性格を育てることができたと思っています。

1番ご興味のあったことは何ですか?

サッカーです。学生時代は部活一色。弱小チームから市の大会で優勝できるまでのチームにメキメキ実力をつけていきました。

特に思い出深いのは、転校する友だちのためにも優勝しようと決意した小学生最後の大会でのこと。決勝まで進み、引き分けでも準優勝、勝たなければ優勝できないという場面で、1-0で勝っていたのですが、ロスタイムで同点にされてしまいました。

全員頭の中が真っ白、まさにドーハの悲劇を彷彿とさせるような場面でした。それでも、無我夢中でボールを拾い、キックオフから7秒後にゴールを決め、優勝することができました。

あの時、ベンチの補欠選手を含めた全員が、私のところに駆け寄ってきてくれて、泣きながら抱き合いました。あの時の経験が、今の会社作りの根源になっていることは間違いありません。

これまでの人生の中で印象に残っているエピソードを教えてください

いい思い出も辛い思い出もたくさんありましたが、倒産の危機に立ち向かったことが、人生で一番大変だったという意味でも印象深いです。

地域でも優良企業として銀行や顧客からも評価をいただいておりましたが、ある事業がキッカケで経営が苦しくなりました。そのころ追い打ちを掛けるように、次から次へとクレームが勃発し、退職者も続出。従兄が自殺するなど、数えきれないほどの困難が一気に押し寄せてきました。

業者や銀行への支払いも遅延するようになり、給料の遅延も何度もありました。取り立てに来た人に頭を下げる毎日。当然関係のあった人のほとんどが去り、残ったメンバーは経験の浅い若いメンバーばかりになってしまいました。

世間の冷たい風に晒され、仲が良かった人にまで罵声を浴びせられ、冷たくあしらわれる日々に「逃げたい」しか考えられない精神状況の中、今まで建ててくださったお客さんとの約束と、残ったメンバーに報いたいという一心で、良くなる兆しが見えないまま、約3年の歳月を耐えました。

そんな中でも手を差し伸べてくれた何人かと、支えてくれたスタッフ・家族の存在のおかげで、流れが好転し業績が回復し始めます。この経験から、ただひたすらスタッフ・家族・お客様の喜ぶことだけを考えて経営していこうと思いました。

井上氏が仕事や生活でご活動されるうえで原動力となっているものを教えてください

正直わからないです。ずっと社員や家族、お客様が自分の原動力と思っていましたが、そうではなかったようです。倒産の危機の時に、先輩経営者の方からホールディングスの傘下に入れば会社を守ってくれるという提案をされました。それを聞いたとき、みんなを守れると思い、ほっとして肩の荷が下りました。

ところが次の日に、起き上がれないほど気力が湧かないのです。心に穴が開き、空っぽになったような感覚でした。あれほど不安で苦しい毎日から解放されるという最高の条件をいただいたにも拘らず、魂が抜け落ちた自分がいました。

その時感じたことは、心は逃げたい、楽になりたいと思っているのですが、魂は逃げないで壁を越えていくことを望んでいたのだということです。未だにはっきりとした自覚はないのですが、おそらく「私の魂は自分自身に与えられた人生を全うしたがっている」というのが、私が思う井上幸治の原動力なのだと思います。

井上氏個人としての今後のビジョンを教えてください

これは明確です。今という一瞬一瞬を良い心持で生きていくだけです。倒産の危機を境に、ビジョンを掲げるのを止めました。先を見すぎて今を雑に過ごしたくないと思ったからです。

会社が低迷していた3年は、毎日が地獄のように感じられました。今日も生きてる、今日も何とか生きてる、そんなことを考えるくらい心が死にそうでした。そこまで追いつめられると、人間感覚が変わってきます。

死ぬ直前になったら、今見えるすべてを愛おしく思うのだろうなと思ったのです。もう見ることのできない空の青さを愛おしく感じ、もう触れることのできない草木花に愛おしさを感じ、人の温かさだけでなく、醜く姑息な人間ですら、会うことができなくなると思うと愛おしい気持ちになりました。死ぬときには“すべて”とのお別れが来る、そのときにもっと一瞬一瞬の心持を大切にすれば良かったと思うであろうと予測がついたのです。

その時から、先を見据えるのではなく、一瞬一瞬に喜びを感じながら生きたら、次にどんな物語が用意されているのか?を楽しみながら生きていこうと決めました。何が起こるか予想の付かない小説を楽しむ感覚です。結末を自ら決めたら、逆につまらないです。

まとめ

今回は、株式会社アレグレホームと社長の井上幸治のお話を紹介いたしました。
『人は成長するために生まれてきた』という座右の銘を心に、壮絶な人生を生きてこられた井上幸治氏が、未来に向かって、幸せを作り続けるアレグレホーム。

日々の生活の基本である家を安心で幸せな形に作ってくれるハウスメーカーとして、これからも注目をし続けたい企業です。

まとめ

名称 株式会社アレグレホーム
設立 2007年11月12日
代表者 井上幸治
住所 〒260-0824千葉県千葉市中央区浜野町751番地
電話 0120-111-6200(フリーダイヤル)
FAX 043-268-6200
営業時間 9:00~18:00
定休日 毎週火・水曜日、年末年始
資本金 2,000万円
事業内容 注文建築・設計、不動産売買、賃貸、仲介、管理業務、損害保険代理店業
公式サイト http://www.alegrehome.com/

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