株式会社ケンコー・トキナーとは?

株式会社ケンコー・トキナーは、カメラレンズや天体望遠鏡などの光学製品の専門メーカーです。

扱う製品は、レンズ・光学製品が中心ですが、撮影に使われるあらゆる機器、機材のクリーニング屋サプライ用品などの関連商品も幅広く手掛けています。最近では、セキュリティ分野にも事業を展開し、写真用品、光学製品、監視装置、X線撮影装置の開発・販売を総合的に行う企業となっています。

株式会社ケンコー・トキナーの歩み

株式会社ケンコーは、1957年9月に設立されました。1974年には光学製品製造を目的としたケンコー光学(株)を設立し、2006年には、(株)ケンコープロフェショナルイメージングを設立し、系列会社としています。

また、企業買収により系列会社を増やしてきました。1989年以降、光映精機、アジアオプチカル(株)、(株)タスコ・ジャパン、フィリピンサクライプラスチック、スリック(株)、フランスのCokinなどを系列会社としました。
そのほか、(株)飛鳥の営業権を取得し、藤本写真工業(株)を合併しています。そして、2011年にはカメラレンズの光学機器メーカー(株)トキナーと合併し、社名を(株)ケンコー・トキナーに変更しました。

海外進出も目覚ましく、1989年にはフィリピンセブ島に現地法人を設立し、その後、アメリカT.H.Kに資本参加しました。2005年には、中国上海市に独資認可の有限公司を設立しましたが、これは、日本企業として初めての快挙でした。

挑戦を続ける株式会社ケンコー・トキナー

株式会社ケンコー・トキナーは、写真用フィルターで名高いケンコーとデジタル一眼レフカメラ用交換レンズで有名なトキナーが合併することにより、写真用品と光学製品で多くの顧客の支持を得ています。近年ではネット上で写真を保管するフォトストレージ部門にも進出するなど、積極的に新しい分野を開拓しています。

現在では、国内の事業所は東京だけでなく埼玉、大阪にも置かれており、海外進出により国際競争力も高めています。

このように、つねに発展を続ける株式会社ケンコ・トキナーの代表者こそ、今回ご紹介する「山中徹氏」です。この記事では山中徹氏の生い立ちから、今後の取り組みについて、ご本人に直接伺いました。

育った環境を教えてください

姉2人兄1人、4人兄弟の末っ子。
姉兄とは、戦争を挟んで10年以上の年の差があり、姉兄と言うより親代わりのようで、父ふたり、母3人、そして何人かのお手伝いさんという、大家族で、にぎやかで楽しい家庭に育ちました。年が離れた末っ子だったので、父には特別かわいがられたように思います。 父は働く事が趣味のような人で、事務所にも地方の営業所にも工場にもついて行った記憶があります。その頃は、まだ、田んぼにB29の爆弾でできた穴があり、水が溜まっていました。 

印象に残っている幼少期のエピソードを教えてください

実家はガラス工場で、そこには色とりどりのガラスや、光り輝くクリスタルガラスが落ちていました。小学校のクラスの仲間を引き連れて、それらを拾いに行き、集めたガラスを宝物のように大切にしていました。

どんな子どもと言われていましたか?

成績普通、運動普通、やさしく、弱い者には特にやさしく、また、強い女の子には守ってもらいました。育った場所は自然豊かで、川でフナ、ハヤ、クチボソ等を釣り上げて、庭の池で飼っていました。

一番興味のあったことは何ですか?

半年から、一年ぐらいで、興味の対象が、著しく変わりました。 砲丸投げ、柔道、写真、自動車、テニス、ディスコ、ダイビング等です。

子供の頃描いていた将来の夢は何でしたか?また、その理由を教えてください

大きな会社の社長になりたかった。 昼にウナギ弁当を毎日食べるような大社長になりたいと思っていました。

これまでの人生で、一番大変だった事は、どのような事でしたか。

子会社の経営不振で、資金繰りに困窮したことがあります。 そんな折、フィリピンの子会社に出張しました。 偶然、工員の一人が明日結婚式という事で彼の自宅での夕食に招かれました。ところが、その家には、家具や家財が何もなく、コップは隣から、コーラは店から、魚や野菜の料理もすべて借りてきて、ご馳走してくれました。私は感動しました。何も持たない彼らが一生懸命接待してくれ、精いっぱい生きていこうとしている。それに引き替え、今の自分はなんだ。担保がどう、借り入れがどうと心配ばかりしていて、やるべき事をやっていなかった。これからは、失敗を恐れず,しっかり立ち向かおうと決意しました。

「デジタル化が進む写真映像分野で、広く支持される新しい商品、セキュリティ分野の商品開発、販売と幅広い分野で事業を展開、発展を続けている」と伺っておりますが、今後更に取り組んでいきたい事などありましたら、教えてください。

1.フィルター等、光の利用での第一人者になりたい。
2.双眼鏡、天体望遠鏡の分野で、世界のベスト3に入る会社にする。
3.今までにはない、独自の写真レンズの分野を切り開く。(ユーザーからの要望は、無限。)               

今後の展望について教えてください。

自身の専門分野で、第一人者となり、名実ともに、自他ともに認められる会社にしていきたい。

取材を通じて感じた事

「光の利用での第一人者になりたい」という山中徹社長は、つねに挑戦を続ける会社の社長にふさわしく、現在も大きな夢を持ち続けている方でした。

幼い頃からのガラスへの興味、好奇心旺盛で次々と興味の対象が変わるところ、社長になりたいと思い続けて実現したところなどは、生い立ちがそのまま会社の発展に大きく影響していることを強く感じました。

順風満帆に見える経営にも苦労があるものですね。それを、海外での出来事がきっかけで克服したというエピソードは印象的でした。
心からのおもてなしに心を動かされるというところまでは誰でもあり得ると思いますが、そこから奮起して実際に経営を改善するには、相当な努力が必要だったことでしょう。1つのきっかけから深く学び、経営に反映させていくところは、社長の強い意志があったからにほかならないと思えます。

山中社長のつねに好奇心旺盛で努力する姿勢こそが、会社をここまでの大きな成長を導いたと考えられます。今後もますます成長していくことを確信させられる談話でした。