株式会社シルバーライフとは?

株式会社シルバーライフは、ご高齢者様向けの配食サービスの仕事を行っている会社で、2002年から事業をスタートしました。

当時は介護保険制度が始まったばかりの頃で、代表の清水氏は、従業員と一緒に、雨の日も風の日も毎日自分でバイクを運転して、お客様にお弁当をお渡ししていたそうです。

以来何年も、配食サービスの素晴らしさをどう伝えれば良いのか、どうやったらもっと早く、美しく盛付が出来るのか、毎日やり方を工夫しながら、常にお客様のことを第一に考え、現在、全国で600店舗のチェーンを持つ高齢者向け配食サービスに成長しました。

同社は、「ご高齢者の皆様の食生活を支える」という揺るぎない熱意をもっており、「食の観点から誰もが安心して歳を重ねることができる社会を創造すること」を理念に掲げています。今後のビジョンとして、高齢者への配達を更に強化していきたいという想いがあるようです。

では、これだけ成長を遂げた企業の代表の生い立ちはどのようなものか?

今回は同社の代表者である清水氏ご本人に、直接、生い立ちや今後の取り組みなどについて詳しくお話しを伺うことができました。

育った環境を教えてください

非常に教育熱心な家庭の長男として生まれました。今思い返してみると私の一族は両親と、両親の兄弟がほぼ全て東大卒で、どんな事でも「やれば出来る」と無邪気に考える人が多い環境でした。誰も挫折を知らないんですね。私も小学生までは「やれば出来る」と信じて無邪気に頑張って勉強していましたが、中学からは完全に燃え尽きて…学業では親の期待に応えられませんでした。それで仕方なく入った大学で山登りにハマり、厳しい環境でも誰かを助けられる人に憧れ、困っている人を助ける警察官→困っている社長を助ける経営コンサルタント→困っている高齢者を助ける高齢者向けの配食サービス事業立ち上げ→東証マザーズに上場する株式会社シルバーライフの代表取締役になったので、世の中何が幸いするか分からないものです。

印象に残っている幼少期のエピソードを教えてください

「所変われば品変わる」を体験した事ですね。当時は野球が盛んな時代だったのですが、小学3年生までは東京にいて周りの人たちはほぼ全員がジャイアンツファンでした。でも親の転勤で兵庫県に行ったら、上品な音楽の女性教師ですら「頑張れタイガース!憎き巨人を倒せ!」とか授業中に感情込めて言うんです。場所によって常識は変わる…これを幼少期に体験できたことは大きかったですね。その後社会人になって警察官→サラリーマン→自営業者→上場企業経営者と自らの立ち位置を変えてきた時も、それぞれの世界での常識をスムーズに受け入れる事が出来ました。

どんな子どもと言われていましたか?

小学校ではいわゆる神童扱いでした。当時は一度読んだ本は瞬間的に記憶、最初から暗唱出来ましたし、数万人が受験する模試でも100位以内の常連だったので…自分は特別なんだと誤解していました。でも御三家と言われる進学校に進むと周りにはそういう「神童」しかいないんです。中には私ではとても敵わない本物の天才もいました。そこで自分は凡人なんだと気が付いて、詰め込み教育後の燃え尽きもあり、中学から先は机に向かっての勉強そのものもしなくなってしまいました。ちなみに大人になってこの前資格試験を受けて、30年振りに机に向かって勉強をしてみました。昔の瞬間記憶能力はほぼ全て失われていました…幼少期の特殊能力は一体何だったのでしょうかね(苦笑)

一番興味のあったことは何ですか?

読書です。私は覚えていないのですが、2歳の時に親に買って貰った「日本昔ばなし」にハマり、あまりに読み続けるので1日3冊までに制限されていました。そのうちに親の目を盗んで自宅に保管してあった全集を発見して読みふけり、数日で全100冊をクリアしてしまったんです。ちなみに大学受験の時には親に「予備校に行く」と嘘をついて、実際は近所の図書館で1000冊以上は読み漁っていたので、成長してもやることは変わっていませんね。多分当時はネットがなかったので図書館だったのだと思います。

子供の頃描いていた将来の夢は何でしたか?また、その理由を教えてください

宇宙飛行士です。実は宇宙に興味がある訳ではなく、どこか見知らぬ場所に行きたい、という放浪願望の究極として宇宙飛行士に憧れていました。結局宇宙飛行士にはなれていませんが、放浪願望だけは健在です。幼い頃はボーイスカウト、大学ではまった登山、今現在も年1回はやっている自転車旅行等で定期的に発露発散しています。

今後のビジョンとして、「日本でナンバーワンの高齢者向け配食サービス会社を目指す」ことを掲げられていると思いますが、そのビジョンの為に、直近で取り組んでいる事などありましたら、教えてください。

①店舗数の増大と②工場建設です。まず店舗数の具体的な目標としては現在の600店舗を、10~15年で1500店舗規模まで伸ばします。75歳以上の後期高齢者様が本格的に増えるのは今から10~15年後です。私たちのサービスを求める方々が激増する…でも店舗はまだまだ足りないんです。そして同じくらい重要なことが工場建設です。求める方々は増える、店舗数も増える、だとしたら我々には必要なお弁当をちゃんと作る「製造責任」があります。その製造責任を果たすためにもお金は貯め込むのではなく、きちんと設備投資に使って、より製造能力を上げる事が重要だと考えています。